劇場版「SHIROBAKO」の「色で勝負」の意味を考察する

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劇場版「SHIROBAKO」にて、色指定・検査の新川さんのこんな台詞がある。

「テレビは色補正が入っちゃうけど、劇場は色で勝負ができるよね」

劇場版「SHIROBAKO」

この後特に詳しい説明もなく、数秒でさらっと流されてしまうセリフではあるのだが、個人的には結構面白いと感じたので、これの意図について考察してみる。

色域と色深度について

例のセリフは恐らく色域と色深度のことを言っているのだと思われるため、まずはそれらについて解説する。

色域とは使える色の範囲のことであり、どこまで強い赤・緑・青(光の三原色)を出すことができるか、その組み合わせでどれだけ豊かな色を出せるかである。

色域は以下のような図で表現される。

Spigget, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

この図において、∩型の色がついた部分が人間の目が捉えることができるとされる色の範囲を表し、三角で囲まれた色の範囲が色域の規格を表す。ここでややこしいのが、色域が広くなっただけでは「今まで使えなかった範囲の色が使えるようになる」だけであり、「使える色数が増える」とはならないことだ。

デジタルテレビやデジタルシネマでは、色域内にある好きな色を自由に指定できるわけではない。なぜならアナログではなくデジタルで色を扱うからだ。デジタルで色を扱う以上、黒〜赤、黒〜緑、黒〜青それぞれを連続した (無段階の) グラデーションとして記録することはできず、何段階かに区切って記録する必要がある。

色が何段階で区切られているのかは色深度で表される。例えば RGB 各色 8bit だと 28 = 256 段階で RGB 各色を表現する。この場合 RGB 合計 24bit となるので、合計 224 = 1677 万 7216 色を表現できる。RGB 各色 10bit だと 210 で各色 1024 段階、合計 30bit = 230 = 10 億 7374 万 1824 色表現できる。

「テレビは色補正が入っちゃうけど…」

ほとんどのテレビアニメは、2K 放送、配信、DVD / BD (非 UHD) などで視聴者のもとへ届けられる。しかし、これらはいずれも (基本的には) Rec.709 という、ブラウン管を基準にした狭い色域にしか対応していない。

表示装置の色域や輝度はどんどん進化する一方で、今までの映像は解像度こそ向上したものの、色域や輝度についてはブラウン管基準のまま取り残されていた。

最近になってようやく、4K や 8K といった解像度の進化と共に、WCG (Wide Color Gamut: 広色域) や HDR (High Dynamic Range: 高ダイナミックレンジ) なども言われだし、映像の色と光の部分も見直されるようになった。

新4K8K衛星放送は WCG (Rec.2020) や HDR (HLG10) に対応しているが、そこで放送されるほとんどのアニメは、解像度こそ 4K にアップコンバートされるものの、色域や輝度は Rec.709 / SDR のままの場合が多い。テレビアニメが UHD BD 化されることもまずないため、ほとんどのテレビアニメは Rec.709 でしか観ることができないのである。

だが、Rec.709 のようなしょぼい色域のコンテンツであっても、よほど安い画面で観たり、テレビやスマホ等の好画質化機能を全部オフにするような人でも限り、表示される色がしょぼいと感じることはほとんどないと思われる。これは、基本的に Rec.709 を Rec.709 のままで観ることはほとんどないからだ。

画像であれば、ICC プロファイルで色域の情報をもたせることができる。一方、SDR 映像にはそのような手段はない。

テレビや BD 等の SDR 映像は輝度は 100nit 程度、色域は Rec.709 で制作されることが多いが、規格で決められているわけではない (製作時の取り決めはあるかもしれないが、その情報を映像に持たせることはできない) ため、どんな輝度や色域が使用されるか分からない。

そのため、SDR の場合、表示装置側で色域を制限する設定をしない限り、コンテンツの色域の RGB 各色 100% は、パネルの色域の RGB 各色 100% にマッピングされる。

Rec.709 を満たさないような表示装置の場合、表現できない色は表示しないのではなく、表示装置の色域に合わせて全体的に縮小して表示される。Rec.709 よりも広い色域を持つ機器の場合、表示装置の色域のうち Rec.709 相当の部分を使って表示するのではなく、表示装置の色域まで拡大して表示される。

よほど安いものを除いて、今のテレビや PC・スマホ等のパネルは Rec.709 より広く、人間の目には「しょぼい」と感じさせない程度には広い色域を持っている。コンテンツの色域がそのような広い色域に拡張して表示されることにより、Rec.709 のコンテンツを見ても、通常は「しょぼい」とはあまり感じないのである。

Google Pixel の「ナチュラル」や Sony Xperia の「プロフェッショナルモード」など、色域を sRGB (ガンマが 2.2 で白色点が D65 の Rec.709) に制限する表示モードを備えた機器も一応存在はするのだが、デフォルトでこのようなモードがオンになっているものはほとんどない。

余談

例外として、例えばかつて出荷時に sRGB がデフォルトになっている Pixel 2 XL というスマホがあった。この機種は初期ファームでは sRGB を 10% 引き上げるモードがあるにはあったのだが、パネルの持つ色域を使い切るようなモードは搭載されていなかった。そのため、この機種は普段からパネル本来の色域にまで引き上げられた色を見てきた人にとっては不評で、Twitter 等では不満の声が見られた。Google はこれに対応し、後のアップデートでパネルの色域を使い切るようなモードを追加した。この一連の騒動で、いかに Rec.709 がしょぼいものであるかがわかる。

それどころか、上記に加え映像処理エンジンでコンテンツの色域を引き伸ばして表示するものも多い。そのせいで、メーカーの調整具合によっては Rec.709 のコンテンツを観ているのにも関わらず、「色がしょぼい」と感じるどころか、むしろ「色がキツイ」とすら感じる人もいる始末。

「色補正」というのが「製作時には広い色域で作ったとしても、HDR で制作でもしない限り、狭い色域に落とし込まれる」という意味なのか、「狭い色域で届けたものをテレビ等が勝手に拡張して表示する」という意味なのか、あるいはその両方なのかは分からないが、少なくとも色域一つとっても、SDR の場合はこんなにも複雑な状況なのである。

余談

一方 HDR では、ほとんどの HDR のフォーマット (HDR10、HDR10+、Dolby Vision、Advanced HDR by Technicolor、HLG10、etc…) において、Rec.2020 の色域を使用することが規格で定められている。

Rec.2020 は今のテレビやスマホ等よりもかなり広い色域となっており、現状これを表示しきるものはレザーバックライト、あるいはレーザープロジェクターぐらいしかない。

そのため、Rec.709 のコンテンツを Rec.709 よりも広い色域の表示装置で観た時とは逆で、Rec.2020 のコンテンツを Rec.2020 よりも狭い表示装置で観るとなると、一見色域が縮小されて表示されそうにも感じられるかもしれない。

しかし、この余談の冒頭でも言ったように各 HDR のフォーマットにて色域が規格で決められているため、表示装置は Rec.2020 のうち、自分が表示可能な色のみを表示するようになっている。


次は色深度に関して。テレビアニメを見ていて、以下の右の図のように、グラデーションの色が急に飛んで縞模様のようになっているのを見たことがないだろうか。

Phlake at en.wikipedia, Public domain, via Wikimedia Commons

これは色深度が不足したときに起こるバンディングやトーンジャンプなどと呼ばれる現象である。デジタルハイビジョン放送、配信、DVD / BDでは通常 8bit の色深度が使われており、コンテンツによってはバンディングが起こることもある。これを解消するために、映像処理エンジンではバンディング除去の処理を施すことが多い。

余談

BD (BDMV) に 12bit の色深度で記録できる マスターグレードビデオコーディング という規格もあるにはあるが、これはパナソニックの独自規格であり、対応プレーヤーもパナソニック製品に限られている。

まとめると、「テレビは色補正が入る」とは、テレビでは Rec.709 という古くて低スペックな色域に制限されてしまうこと、最近のパネルは Rec.709 より広色域なので色域の拡張が起こること、表示側で好画質化 (必ずしも高画質化ではない) の処理が行われる、といったことなのだろうと推測できる。

他にも、SDR 制作のコンテンツが SDR の想定 (通常 100nit) よりも高い輝度で表示される事が多いこと、ガンマ値や色温度がコンテンツ側と表示側とで異なる場合があることなど、色々考えられる。

色域の拡張や映像処理は必ずしも悪というわけではなく、どちらかというと好みの問題に近い。が、コンテンツ制作側の手が及ばないところで行われているものである以上、少なくとも製作者の意図したものとは多少なりともずれてしまうので、必ずしもその結果が良いものになるとは限らない (なので高画質化ではなく好画質化)。劇場版「SHIROBAKO」では、そのあたりのことも含めて言っているのだろうと思われる。

「劇場は色で勝負ができるよね」

それに対し映画はどうか。映画だからと言って、アニメ映画では円盤化されたときや配信・放送されたときに、 Rec.709 よりも広い色域で提供されることはまずない(「君の名は。」や「天気の子」などあるにはある)。では何が違うのか。

それは映画館で上映されるバージョンである。映画館のデジタル上映では、旧作などを上映する際には BD 上映などもあるにはあるが、基本的には DCP (Digital Cinema Package) という映像・音声・字幕等が入ったコンテナが用いられる。これはアナログ上映におけるフィルムに相当するものである。

DCP は通常 HDD に保存された状態で納品される。最近は外付け HDD や USB メモリで納品されることもあるようだ。以前 SHIROBAKO 公式が本編を納品する様子を実況していたが、これは前述の DCP が入った何かしらのストレージを輸送している、という意味である。

「公開に向けて準備を進めてくださっている」とあるが、これは具体的には DCP のデータを映画館のサーバーにコピー(インジェスト)したり、中身をチェックして音量を決めたり、予告編やマナー映像などを組み合わせたプレイリストを作ったり、などと言った作業だ。


この DCP では基本的にはP3という、Rec.709 よりも広い色域が用いられる。例外として、Dolby Cinema で用いられる Dolby Vision では P3 よりもさらに広い Rec.2020 を使用している。

P3 とは DCI-P3 や Display P3 でおなじみ (?) の色域である。DCI-P3 や Display P3は 色域 (P3) の他、ガンマや白色点なども定義された規格なので、これらの色域のみを指して呼ぶ場合は「P3」となる。

DCI-P3 はデジタルシネマ仕様の規格で、色域 P3、ガンマ 2.6、白色点 D63と決められている。Display P3 は Apple が DCI-P3 の色域である P3 に sRGB の白色点 (D65) とガンマ (2.2) を組み合わせた規格である。

P3 は Rec.2020 よりは狭いが、そもそも Rec.2020 が広すぎるだけで、P3 でも十分な色表現を行うことができる。むしろ P3 の範囲外の色は自然界にはほとんど存在せず、あるとすればネオンサインなどのキツい色などだ。

Rec.2020 は広すぎてマスターモニターですらも完璧には表現できないような色も含まれるため、Rec.2020 を使ったコンテンツでは P3 の範囲内で収めておく場合が多いとされる。

また、DCP では 12bit の色深度を扱うことが可能である。12bit なので各色 (RGB ではなく XYZ だが) を 212 = 4096 段階で表現でき、合計 236 = 687 億 1947 万 6736 色と、8bit の 1677 万 7216 色とは比べ物にならないぐらいの色数を扱うことができる。

つまり、DCP はテレビと違って色域や色深度が豊富なため、制作時に色をあまり我慢することなく使うことができる。そして、DCP は色域は P3 、ガンマは 2.6、白色点は D65 を使うと決まっているため、プロジェクターはそれに合わせて表示すれば、極端に色がおかしくなることはない。

これが、「劇場は色で勝負ができるよね」という意味なのだろうと推察される。


実際に劇場版「SHIROBAKO」を上映品質に定評のあるティ・ジョイ系映画館で合計5回鑑賞したが(梅田ブルク7 シアター②③⑤⑥、T・ジョイ京都 シアター⑩)、いい意味でなんとも言えない絶妙な色が使われているシーンが度々あった。例えば OP の夜空の色は、劇場で観ると絶妙な色使いに惚れ惚れとするが、YouTube に上がっているバージョンではほとんど感動できない。


DCP は特に SDR コンテンツの場合、色域や色深度の面で基本的には放送・配信・円盤よりも優位だが、画質面で優位な点は他にもある。

DCP の映像は H.264 / MPEG-4 AVC のような動画データで入っているわけではなく、JPEG2000 という形式の静止画の連番で保存されている。そのため、映像圧縮でよく用いられるフレーム間の圧縮はない (実質ALL-I)。また、放送・配信・円盤等では色差信号を間引く圧縮であるクロマサブサンプリングが行われ、YCbCr 4:2:0 などになっていることが多いが、DCP ではそんなことはしない (XYZ 4:4:4)。

DCP は JPEG2000 で圧縮はしているが、上記のような仕様なため、ビットレートは 250Mbps と十分高く設定されており、実は映画館で見る映画は放送・配信・円盤なんかよりもずっと高画質なものであったりするのだ。先程 BD 上映もあると言ったが、これは DCP と比べると品質は当然下になる。

余談

たまに「SDR と HDR を見比べても違いがわかりにくい」といった感想を目にすることがある。SDR もまた Rec.709 同様ブラウン管時代の基準であり、100nit 程度の輝度しか想定していない。また、SDR では UHDBD や新 4K8K 衛星放送といった BT.2020 (色域: Rec.2020) を使える環境以外では、基本的に Rec.709 が使われることが多い。SDR / Rec.709 では色も輝度も不足するのだが、それでも十分観られるのは、色も輝度も拡張された、本来の想定とはかけ離れた環境で表示されることが多いからだ。

それに対し、最近はかなり低価格な HDR 対応テレビやモニター、スマホ等が手に入るようになってきた。エントリー機種だと 300 〜 400nit 程度しか出せないものもあり、これでは HDR 映像の美しさを十分堪能することは難しい。

SDR は輝度やダイナミックレンジが低輝度な HDR 対応機に似たような表示に、色域も P3 相当にまで拡張されること、及び幸か不幸か低輝度な機器でも HDR 映像を観られるようになったことが、SDR と HDR であまり違いを感じない要因だと思われる。SDR / Rec.709 を拡張せず本来の想定通りに観て、HDR / Rec.2020 を全白 1000nit、P3 を 100% 出せるぐらいのディスプレイで観れば、それぞれの表現能力の違いを実感することだろう。


井戸水

ガジェットやオーディオビジュアルが好きな人。モバイル機器における空間オーディオなどを調査しています。

2件のフィードバック

  1. 色域と色深度(色数)の本質的な違いが分からなくてネット検索しまくって色々なサイトで調べても理解できなかったんですが、
    このページでやっと理解できました
    本当にありがとうございました!

    今はガンマの意味を調べてます。映像は難しいですね

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